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鹿島(かしま)は、日本海軍の練習巡洋艦〔#達昭和14年3月(2)p.23『達第四十八號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十三年度ニ於テ建造ニ着手ノ練習巡洋艦二隻、驅逐艦一隻及敷設艇一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十四年三月三十一日 海軍大臣 米内光政|三菱重工業株式會社横濱船渠ニ於テ建造 練習巡洋艦 香取(カトリ) 練習巡洋艦 鹿島(カシマ)|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 驅逐艦 早潮(ハヤシホ)|株式會社石川島造船所ニ於テ建造 敷設艇 巨濟(キョサイ)』〕。香取型練習巡洋艦の2番艦〔#艦艇類別等級表(昭和17年6月30日)p.4『軍艦|練習巡洋艦|香取、鹿島、香椎』〕。艦名は茨城県の鹿島神宮に由来する。 ==概要== 日本海軍は士官候補生の遠洋航海に旧式となった装甲巡洋艦磐手、出雲等を用いていたが、機関は石炭燃焼であり、さらに昭和に入り艦の老朽化が目立って来た〔#撃沈戦記234頁〕。そこで海軍は、マル3計画の追加分で新たに練習巡洋艦2隻を計画した。これが後の練習巡洋艦香取と鹿島である。 1938年(昭和13年)8月24日、三菱横浜造船所で香取型1番艦香取が起工〔#艦船要目公表範囲(昭和17年6月30日)p.4『香取|練習巡洋艦|(艦諸元略)|三菱横濱船渠|13-8-24|14-6-17|15-4-20|(兵装略)』〕、10月6日、香取型2番艦の鹿島が同造船所で起工された〔。 1939年(昭和14年)3月31日、練習巡洋艦2隻にそれぞれ香取と鹿島、陽炎型駆逐艦5番艦に早潮、測天型敷設艇に巨済の艦名が与えられる〔。6月17日、香取は進水し〔、9月25日、鹿島は進水〔。同日附で、宮里修徳大佐(香取艤装員長)は鹿島艤装員長を兼務することになった。また横浜船渠に鹿島艤装員事務所を設置、事務を開始する〔『○事務所設置 鹿島艤装員事務所ヲ横濱市中區緑町三丁目四番地ノ二 三菱重工株式會社横濱船渠内ニ設置シ九月二十五日事務ヲ開始セリ』〕。 11月1日、宮里大佐は特務艦(工作艦)明石艦長へ転任。長良型軽巡洋艦4番艦由良艦長市岡寿大佐は香取艤装員長・鹿島艤装員長を兼務する(後任の由良艦長は第8潜水隊司令魚住治策大佐)〔。 1940年(昭和15年)3月10日、市岡大佐は香取艤装員長と鹿島艤装員長の兼務を解かれ、鍋島俊策大佐が新たな鹿島艤装員長となった。 4月20日、香取が竣工した〔〔『○事務所撤去 香取艤装員事務所ヲ本月二十日撤去セリ』〕。鹿島も同年5月31日に竣工し〔、同日附で鹿島艤装員事務所を撤去〔『○事務所撤去 三菱重工株式會社横濱船渠内鹿島艤装員事務所ハ本月五月三十一日撤去ス』〕。鍋島大佐も制式に鹿島初代艦長となる。 竣工後の2隻は練習艦隊に編入される。6月1日、練習艦隊旗艦は香取に指定された〔『○将旗掲揚 練習艦隊司令官ハ六月一日将旗ヲ香取ニ掲揚セリ』〕。8月7日、2隻(香取、鹿島)は昭和15年度の遠洋航海(司令官清水光美中将:兵学校68期生、機関学校49期生、主計学校29期生)に出発する〔『○艦船所在○八月八日午前十時【航海中】(旗艦)香取、鹿島(七日江田内發-舞鶴へ)』〕。江田島~舞鶴(陽炎型3隻《親潮、天津風、嵐》建造中)〔『○艦船所在○八月十日午前十時【舞鶴】吾妻▲、龍田▲、長良▲、名取、蒼鷹、天龍/(旗艦)香取、鹿島/(司令)秋風、夕凪、羽風、太刀風、朝顔、芙蓉、刈萱/伊五二▲/(司令)隼、鴻、鵯▲、鵲▲、千鳥/(親潮)▲、(天津風)▲、(嵐)▲』〕~野辺地町〔『○艦船所在○八月十四日午前十時【野邊地】(旗艦)香取、鹿島』〕~大湊〔『○艦船所在○八月十九日午前十時【航海中】(旗艦)香取、鹿島(十八日大湊發-鎮海へ)』〕~鎮海(第29駆逐隊《追風、疾風》停泊中)〔『○艦船所在○八月二十二日午前十時【鎮海】(旗艦)香取、鹿島/(司令)追風、疾風』〕~大連・旅順~上海を歴訪する〔。しかし情勢の変化により9月20日に前期航海のみで中止が決定、これが帝国海軍最後の遠洋航海となった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鹿島 (練習巡洋艦)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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